『遠い山なみの光』は薄墨で彩られた独特の色彩を持つ小説!って話


カズオ・イシグロである。
ノーベル文学賞を受賞したので、今でこそかなり名前を知られてる小説家だけど、オレなんか彼の事を全然知らなかったんだよね。ノーベル賞のニュースを聞いた時、慌てて一冊読んだんだけど、その時に読んだ本は現時点での代表作の呼び声の高い『わたしを離さないで』だ。

 ノーベル賞云々の先入観を持たないようにして読んだけど、うん、なかなか面白い小説だった。読者を惹きつける「不思議な磁力」のある文章で、なんとも言えない読後感を味わった。
この人、他にはどんな小説を書いてるんだろ?
って事で、今回、読んでみたのが、これ・・・。
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長編デビュー作の『遠い山なみの光』だ。
原題は、A Pale View of Hills.
う~ん、この原題にこの日本語のタイトル、オレの感覚的にはちょっと違和感なんだけどな。
ド直訳すると「丘の青白い眺め」って感じになると思うんだけど・・・。まぁ、その辺は出版社の考えも有るだろうし、問題は中身だ。中身さえ良ければ何も文句はない。
で、読んでみたんだけど・・・。
冒頭からラストまで続くのは、
気味の悪さ!
もちろん読む人によって感じ方は違うだろうけど、オレがいの一番に感じたのはこの小説を貫く「気味の悪さ」だ。あれだよ、この小説はホラーでもないし、当然、「純文学」に分類されても良い作品なんだけど、この小説を彩る薄墨で覆われたような色彩感覚・・・これが気味の悪さの原因なんだろうな。
気味が悪いからと言って、面白くないかと言うと、全然そんなことはなくて、『わたしを離さないで』同様、「不思議な磁力」で読む者を惹きつける小説だ。


 

まずは文庫本の背表紙から軽く引用・・・。

故国を去り英国に住む悦子は、娘の自殺に直面し、喪失感の中で自らの来し方に想いを馳せる。戦後まもない長崎で、悦子はある母娘に出会った。あてにならぬ男に未来を託そうとする母親と、不気味な幻影に怯える娘は、悦子の不安をかきたてた。だが、あの頃は誰もが傷つき、何とか立ちあがろうと懸命だったのだ。淡く微かな光を求めて生きる人々の姿を端正に描くデビュー長編。王立文学協会賞受賞作。『女たちの遠い夏』改題。

って事なんだけど、この小説の凄さを1/10も伝えてないな。限られた字数で書くわけだから、いろいろ大変だろうけど・・・。
この小説は、悦子って一人の女性が主人公なんだけど、彼女の現在過去を交互に描くことで成り立ってる小説だ。
過去の部分は、彼女が長崎で暮らしていた時期を描いてるんだけど、その長崎で暮らしていた頃の描写が、ホント、気味が悪いんだよなぁ。時期的には朝鮮戦争の頃かな、まだ占領軍が居る時代。夫の二郎と暮らす悦子。彼女のは待望の妊娠をしている。そこで佐知子と万里子の母娘に出会う。いやぁ、この万里子って娘が、とてつもなく・・・
気味が悪い!
母親の佐知子はあてにならないアメリカ兵と結婚する事を夢見て、育児についてはネグレクト気味・・・。そんな母娘を心配そうに見てる悦子・・・ってのが基本的な構図になるんだけど、そこに夫・二郎の実の父親、緒方さんやら、うどん屋の女将、藤原さんなんかも絡んできて、なかなか懐の深い物語になってるのだ。
現在の悦子はと言うと、二度目の結婚をしてイギリスに住んでる悦子だけど、最初の子供・景子を自殺で亡くしている。そこへ二番目の夫との子・ニキが帰って来て・・・って話だ。景子が自殺した原因も語られてないし、二番目の夫に至ってはまったく登場しない。なんとも不親切に思える描写なんだけど、景子の自殺した原因なんかが、何となくわかるような・・・そういう不思議な描き方をしてる。
うん、景子の自殺した原因も描かれてないし、佐知子と万里子母娘の現在も描かれてない。それでも、何となく『現在』が伝わってくるような描き方。
実に上手い!
細かく書かずに、「何となく」読者に想像させる書き方、とでも言うのか・・・。

この小説は、実に上手く描かれていて、簡単に言うと・・・
対比してる小説だ。
気味の悪い子・万里子と自殺した景子の対比(作中ではハッキリと対比されていない)や、悦子と佐知子の対比、旧体制の思想に縛られてる緒方さんと新しい価値観の松田の対比、その他、練りに練られた会話文等々、読みごたえは充分。
回想の部分では、戦後の混乱期に怪しげな男と一緒にアメリカへ渡ろうとする佐知子とそれを心配する悦子が描かれてる。が、現在の部分では、二度目の結婚をしてイギリスへ渡った悦子が描かれていて、読んでいて感じるのは、
悦子は佐知子の軌跡を辿ってるんじゃないか!?
って事だ。他にも練られてる「伏線っぽい」部分はあるんだけど、例えば万里子を探しに行った時に悦子の足に絡まる縄・・・。これは景子が自殺で使った縄に結びつくような気がする・・・。
蜘蛛の場面での悦子と万里子の会話は、うすら寒ささえ感じさせる。そこらのホラー小説じゃ太刀打ちできないような怖さだ。
表面的には戦後の混乱期を懸命に生き抜いて自立していく女性を描いた小説だけど、この小説のテーマは違うような気がする。悦子をはじめとして体制の変換に翻弄される人間を描きながら、生きていく事の「不条理」を描いてるような気がするのだ。少しだけカフカ的な匂いだ。
読み終わって思うのは、
もしかして万里子ってのは、悦子が産んだ想像の産物?
って思ってしまうほど、現在と過去の対比が鮮烈だった。
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訳者のあとがきにも書かれてたけど、「この作品を支配するムードは、やはりイシグロの全作品に顕著な『薄明』のそれである」云々・・・。
それそれ、確かに薄明だ。けっして明るくはないし、かと言って暗闇でもない。夜から朝にかけての薄明とでも言うような、妙に不安定な明るさ。人を不安にさせるような心細い明るさだな。
ただね、一つだけ気になる点を挙げると・・・
会話文がいただけない!
この小説、非常に優れていると思うんだけど、オレ的にはどうしても会話の訳文に納得がいかない。
下手に上品すぎる!
特に回想の部分だけどね、戦後の混乱期、朝鮮戦争の頃にこんな「お上品」な言葉を遣う人が長崎にゴロゴロ住んでたとは思えないし、戦後の日本の風景とは相いれないと思うんだよなぁ。その違和感がこの小説を貫く「気味悪さ」の一因とも思える。
こんな言葉を遣ってたのは、ごくごく一部の超上流階級だけじゃないのか?
ついでに、もう一点。
日本(長崎)の描写が、ちょっとなぁ・・・。
ニュースなんかで当時の映像を観てるけど、この小説に描かれてる日本の風景とは少し違うような気もする。二郎と悦子の夫婦はコンクリート造りのアパートに住んでるし(あの時代の地方都市としては、かなり特殊なんじゃないかと勝手に想像してる)、まだまだ食糧難の時代に特に食料の心配もしてないし(自宅で晩酌をする場面もある)、この辺りがなぁ、オレ的には違和感なんだけどね。
カズオ・イシグロは5歳の時に日本を離れて英国に渡ってるんで、彼の中の日本のイメージがこういう日本なのかもしれないな。
まぁ、細かい描写は置いておいても、生きていく事の「不条理」さを描いた秀作なのは間違いない一冊。この本を読んで太宰 治『斜陽』を思い出した。
久々に太宰さんでも読んでみようかな・・・。


 

いつものバイト君の下書きチェックだ。

バイト君:これ、太宰 治と似てるんですか?

似ては無いぞ。
なんとなく思い出したのだわ。

バイト君:てか、訳文に文句言っても仕方ないでしょ~が・・・

この時代に、こんな「お上品」な言葉を遣う人間が居るかよ!
どんだけ上流階級なんだ・・・

バイト君:気に入らないなら原書で読めば良いでしょ!

・・・・・・

 


 

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